「メルマガ」を開始

◇天気、雨のち曇り

中央市の月曜日。昼過ぎに古書会館に到着、夏以降の中央市は少し買い物が出来るようになってきた。組合員になった春は相場観がまったくなくほとんど何も買えなかったことを思えば少し進歩したか。しかし、今日は高値にからんだものの欲しかった山は何も買えなかった。「からむ」という古本業界用語は「ブンブン堂のグレちゃん」で覚えた言葉だが、からんで買えないと悔しい。一方、からまれて高値で買うのは、買った人は安く買いたいわけだから本当は嫌なはずだが、人間の心理は不思議で嬉しくなる。昨日の当方はこの逆で、買えたのは下値の岩波文庫ユリイカ。安値で買うと逆にもっと安く買えたかも、とか、他に買う人がいなかったのだと考えてガックリしてしまうから不思議だ。ひとつ結構高く入れたつもりの札が、「トメ(最低価格)」があり買えなかった本もあった。出品した本屋さんは売るつもりがあるのだろうか、と思ってしまう。

入札をして古書会館の6Fで「日本の古本屋」の申し込みをする。10月から「日本の古本屋」での販売にも挑戦します。その準備として先週末から「メルマガ」を開始しました。「メルマガ」では、日々の古本屋の活動記録にあわせて、「日本の古本屋」に登録した古本の紹介などを発信したいと思っていますがどうなることやら。

古書会館をあとにして「書肆アクセス」に。新刊本を数冊仕入れする。 「追分コロニー」は古本屋だが、新刊本コーナーも近日中にスタートしたいと考えていて、当面は20冊くらいの小さな小さな新刊本コーナー、主に地方の小出版社の本を扱う予定。しかし、それにしても「書肆アクセス」がなくなるのは痛い、「古本屋」がそうなのだが棚を見ながら本を選べるというのはとんでもないメリットなのです。図書館のデータベースやネットなどで本を検索というのは探している本を知っていれば便利ですが、知らない本は検索できない。知らない良本を探索するのは本屋に行って自分で眼と足で探すしかないのだが、また、本屋で立ち読みすることが非常に大事なことがこの理由にあるのだが、「書肆アクセス」がなくなるというのは痛いデス。

書肆アクセス」を後にして、先週に神保町を町歩きしていて見つけた探求本を買う。X万円する本で今回は資金を準備して店に行き、ビニールで厳重に包装された本を買う前に「少し見せてくれませんか」というと、「駄目」と厳しい口調の返事、愛想もなにもない、高い本を買うといっているのだし、エログロ写真集じゃないのだからもう少し接客方法が良くても良いのでは。神田の古本屋に元気がないというが、もう少し客商売のイロハを勉強して欲しいと思わざるをえない。

長年探していた本が無事買えて嬉しいのだが、神保町古本屋の無愛想な接客で少しがっかりして、気を取り直すためにジャワカレーを食べに行く。アパートに戻って、夜は吉本隆明「書物の解体学」を読み始める。吉本隆明の文は読みこたえがあって面白い。